ブハラ
  Bukhara
▼MAP

*地図:日本外務省ホームページより編集
 さて、ブハラに到着です。
 ここはブハラ州の州都で、1世紀頃に建設。アラブ人に征服されてからは商業の中心として発展し、特に、ここを首都にしたサーマーン朝(875〜999年)時代にはイスラム文化の中心の1つともなりました。

 その後、カラ=ハン朝、モンゴル等の支配を経て、16世紀にはブハラ=ハン国が成立。中央アジアの中心地として栄えますが、ロシア帝国に征服され保護国化。さらに他の諸都市と共にソ連に組み込まれていきました。

チャール・ミナル
 4本のミナレットという意味。元々はマドラサ(神学校)への入り口だったそうです。

マゴキ・アタリ寺院
 10世紀の建築です。1936年、なんとソ連の考古学者シシュキンが砂の中から発掘したことから、マゴキ(穴の中)と名付けられ、現在は絨毯博物館として使用されています。破壊されるたびに修築した跡が残っているのが特徴。

市場にて
 市場はなかなか盛り上がっていました。この写真じゃそれらしく見えないけど・・・

市場にて

市場にて
 色とりどりの生活に必要な道具が並びます。

レストランにて
 緑豊かな空間でゆったりと食事。

市場にて
 広くゆったりとした市場で買い物を楽しむ人、売る人.。

市場にて
 これは香辛料です。
 

チャシュム・アユブ廟
 チャシュム=泉。12世紀に泉が掘られ(現在もわき出ています)、14世紀に真ん中のドーム、16世紀に手前のドームが造られたそうです。

イスマイル・サマニ廟
 中央アジア最古のイスラム建築(9世紀末〜10世紀中頃)。サーマン朝4代目国王イスマイル・サマニが自分の父親のために建築した物で、サーマン朝最後の王となった彼と親族も葬られています。10.8m×10.7mと、ほぼ正方形なのが特徴的。
 砂の中に埋もれていたため、モンゴル帝国による破壊を免れ、1926年に考古学者ビャトキンが発掘しました。

踊る人々
 木陰で人々が楽しそうに踊っています。

アルク城
 1902年にロシアに滅亡させられるまで、ブハラ・ハン国歴代国王の居城として存在。城壁からは市外を一望でき、城の前のレギスタン広場では、王に刃向かう者を残忍な方法で処刑し、見せしめとしたそうです。城門を入った道の両側には牢屋も。ちょっと怖い・・・。

カラーン・モスクとミナレット
 ブハラのシンボルのモスクとミナレット。

カラーン・モスク
 カラーン・ミナレットに登って撮影したもの


ミーリ・アラブ・メドレッセ(マドラサ)
 カラーン・モスクの向かい側にある神学校。

ブハラ駅
 基本的には長方形の形をした普通の駅舎ですが、真ん中の丸い飾りが何とも印象的。

ブハラ駅にて
 タジキスタン全土、キルギスの一部まで管轄するウズベキスタン鉄道は、旧ソ連諸国の規格である1528mm(広軌)のため、車両が大きく中は広々としています。また、夜行列車はご覧の通りとにかく長い! 16〜18両編成で走ります。まあ、日本の東海道新幹線も16両、JR常磐線は通勤電車が15両ですが・・・。

鉄道の風景
 貨物列車を待避させて先へ進みます。

ちょっとオマケ
 本題へはいる前にウズベキスタンで見つけた物から。
 どこかで見たことのあるような、しかし何かがおかしい物がないでしょうか? 袋に描かれている東海道・山陽新幹線100系
 確かに現在の100系は塗装変更されてはいますが、こんな色じゃないですよ(笑)。

風景
 次の目的地、サマルカンドへの行く途中の車窓です。