○インディオの強制労働とラス・カサス神父

 さて、スペインはこうした王国を滅ぼすと、インディオ達を強制労働させます。最初はコロンブスが始めたもので、食料獲得のために現地のインディオを植民者に分配したものです。そして、1503年、イスパニオラ島(ハイチ・ドミニカ)総督オバンドが始めたエンコミエンダ制がイザベル女王に認められると、一層酷使は加速します。

 この制度は、征服者・植民者の身分・功績に応じてインディオを割り当て、労働力として使役する権利を認め、そしてキリスト教に改宗させることを義務づける制度です。キリスト教に改宗させるのは、新大陸支配をローマに認めてもらう見返りです。

 スペイン人達はこう考えています。「インディオ達は怠惰である。ゆえにキリスト教によって救われることもない。だから、労働をさせて文明的な生活を身につけさせるのだ」。自分勝手な論理です。さらに、労働力として使役出来るのは、一定期間と定められていたため、ポトシ銀山、サトウキビ栽培などで余計に酷使しました。

 ちなみに、このポトシ銀山は非常に銀を算出し、これがヨーロッパに輸出されると価値が暴落。物価の高騰を招く、価格革命が発生しました。
 
 さておき、酷使されるインディオ達は数が激減。これに対し、反対する人もいました。それがドミニコ会修道士、バルトロメ・デ・ラス・カサス神父(1484〜1566年)です。

 セビリア生まれの彼は、現地の人をキリスト教に改宗させることを使命としていました。先ほどのオバンドと共に1502年にやってきた彼は、最初は他の支配者達と変わりませんでしたが、1514年のミサの最中に「これではいけない」と考え、以後一貫してインディオ達の保護運動を展開しました。ただし、キリスト教改宗については譲っていませんが。

 そして、エンコミエンダ制廃止と、征服戦争の中止を求め、カルロス1世など関係諸方面に書簡・文書を送り、1541年、奴隷化禁止とエンコミエンダ制は廃止を定めた、インディアス新法が発布されました。しかしこれは、現地で征服者達がインディオ達を使い、半独立化しつつあったことに対抗したもので、インディオ達を守ってやろうという法律ではありません。
 その程度の法律なのにもかかわらず、植民者達は猛反発し、ラス・カサスは敵視され、殺されかけます。しかも、現地で新法実施はのらりくらり。そのため、やむ終えず彼はスペインに帰りました。そして、今度は「そもそも、スペイン王、スペイン人のみならず、ヨーロッパ人の植民地化政策は間違っている」とすべてを批判。さらに、インディオの視点から見た「インディアス史」編纂など、数々の著作を通じて活動を広げます。

 しかし、スペイン王フェリペ2世は財政悪化のため、むしろエンコミエンダ制を金銭と引き替えに容認。さらに他国も植民地化に乗り出します。そんな中、ラス・カサスは1566年、マドリードで息を引き取りました。81歳でした。

○大航海時代・ヨーロッパに伝わったもの

 そもそも、大航海時代というのも羅針盤の伝来などから始まったのですが、この大航海時代で多くの文物がヨーロッパに伝わり、中には今のつながる重要な働きをしているものもあります。まずは食品から。
 ・コショウ・・・コレについては前述べた通り。ちなみにポルトガル王室は、輸入量を制限し薄利多売はしなかったとか。

 ・ジャガイモ・・・アンデス山脈産です。栽培のしやすさと、含まれているアミノ酸が、人間の必要とする必須アミノ酸に近いからドイツなど北ヨーロッパで爆発的に普及し、18世紀のアイルランドでは、ジャガイモが不作だった年に2〜3割の人口が減ったとか。当然、大英帝国はジャガイモによって支えられ、現在でもイギリスでは主食の一つ。

 ・トマト・・・やはりアンデス山脈産。「愛のリンゴ」(イギリス)などと呼ばれ、元々は何故か媚薬、つまりエッチな気分にさせる薬として普及、ゆえにイギリスでは一時栽培が禁止に。ちなみに、イタリアでは17世紀から栽培が始まり、18世紀初頭にナポリでスパゲッティ用のソースとして使われ、以後全土でトマトソースブームに。

 ・カカオ・・・前1000年より南アメリカで栽培。マヤ文明もこれを使い、唐辛子と加工してチョコレート飲料を作ります。スペイン人は、砂糖とバニラを加えてチョコレート飲料を作り、19世紀に今のような固形や、ココアパウダーが登場します。その一方で、このカカオ栽培のために多くの黒人奴隷が使われました。

 ・砂糖・・・これも、多くの黒人奴隷が使われて栽培されました。ポルトガル植民地ブラジルでのサトウキビ農園が有名です。砂糖は、十字軍の遠征で東方から伝わっていましたが、元々は非常に貴重で薬とされていました。18世紀以降、オランダやイギリスも奴隷による栽培に参入し、一般に普及します。これを、砂糖革命と言います。

 一方、病気も伝わります。それは、「梅毒」。梅毒トレポネマというスピロヘータ(螺旋系をした病原体)の1種によっておこる感染症で、性交渉によって感染します。最悪の場合、皮下組織や粘膜、骨、肝臓、腎臓、その他の内臓に、ゴム腫というかたいこぶのようなものができて、心臓や血管にまで感染がおよぶと、死にいたる他、中枢神経に感染して 知覚障害や歩行障害、排尿のコントロールが出来ない、精神病の発生などがあります。

 この梅毒が、1493年、コロンブスの第1回アメリカ探検隊の隊員によると言われていまして、一気に広まり、16世紀には一般的な病気に。さらに船乗り達によって世界中に運ばれ、日本でも感染者が出ています。そんな不幸で有名な人物に、戦国大名の加藤清正がいます。

○新大陸に「伝えてしまったもの」

 一方、ヨーロッパから「新」大陸に伝えたものもあります。それが、病気。代表的なものは「天然痘」です。酷使されていた原住民は、体力もないので、次々と感染し死亡。当然、人口は激減し労働力が低下。そのため、アフリカから黒人奴隷が連れてこられることになったのです。

 ちなみに、多くの犠牲者を出した天然痘ですが、第2次世界大戦後、世界的な必死の撲滅運動の結果、1980年にWHOは天然痘撲滅を宣言しています。

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