第10回 1955年〜64年(5):ブラジルとチリ
○独裁政権が終了したのもつかの間−ブラジル
まずはブラジルの動きについて、ちょっと前の時代から見て行きましょう。1930年、ブラジルでは軍事クーデターが発生し、軍の支持を受けて政治家のジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス(1882〜1954年)が大統領に就任します(正式に就任したのは1934年から)。ヴァルガス大統領は1937年には議会を解散させて独裁政治を行い、憲法を改正して大統領の権力を高め、政党活動の禁止、報道の検閲を行います。
・・・と、こういう雰囲気はイタリアのムッソリーニとか、スペインのフランコのようですけど、第2次世界大戦ではアメリカなどの連合国側に参戦し、イタリア戦線に派兵しています。一方、国民の不満はピークに達し、1945年10月に軍事クーデーターが発生してヴァルガスは失脚しました。ただし、直ぐに上院議員に当選。
1951年、ブラジルで史上初めての民主的な選挙が行われ、何とヴァルガスが再び大統領に返り咲き、今度は左派色の強い政権運営を行います。しかし、戦後から続くブラジル経済のインフレ状態を解消することが出来ずに、国民の不満が高まります。しかも反大統領の姿勢をとるジャーナリスト暗殺計画などへの関与も疑われ、この際に事件をめぐって空軍将校が射殺されたことから、軍部がヴァルガス大統領の退陣を要求。
1954年8月24日、孤立無援となったヴァルガス大統領はピストルで自殺しました。
続いて特筆すべき政権は、1956年に大統領に就任したジュセリーノ・クビシェック(1902〜76年)。クビシェック大統領は、日本やアメリカ、ドイツなどの外国資本導入によって、工業化を積極的に推進し、さらにブラジル内陸部に新しい首都を造るべく、新首都ブラジリアを建設。1960年4月21日、リオデジャネイロから遷都しました。何と素早い・・・。
このブラジリアは、ブラジル人建築家ルシオ・コスタ(1902〜1998年)の設計で、人造湖であるパラノア湖のほとりに、飛行機が羽根を広げた形になっているのが特徴です。また、主要な建造物はブラジル人建築家オスカー・ニーマイヤー(1907年〜 )が設計し、当時最先端のモダンな都市となりました。1987年、ブラジリアは何と世界遺産に登録されました。
ブラジリアの風景
*陸域観測技術衛星「だいち」の観測データより (C) 宇宙航空研究開発機構(JAXA)
どんな感じの建物が並んでいるのかは、下記の在ブラジル日本国大使館ホームページが参考になります。
http://www.br.emb-japan.go.jp/nihongo/guiabrasilia.htm
こうして建築史上、都市計画上、輝かしい功績を残すことになりますが、新首都建設に伴い莫大な資金がかかり、また当時は主要都市からの交通も未整備で、非常に使いにくい状態でした。クビシェック政権は国民の賛否が大きく分かれ、次の選挙では敗北しました。
続くクアドロス大統領は、何と7ヶ月で政権を投げ出し、グラール副大統領が大統領に昇格。ところがインフレは更に加速し、ブラジル経済は混乱。さらに1964年3月に軍事クーデターが発生し、軍事政権による独裁体制が敷かれました。
ちなみに軍事政権といえば、同じ1964年の11月に、ボリビアでも軍事クーデターが発生し、軍事政権が誕生しています。
○日本にも大きな被害−チリ地震
日本と同じく、チリも地震が非常に多い国で、過去大きな地震が何度も起こっており、最近では2010年の地震が大きな被害をもたらしていますが、1960年5月23日に発生した地震は、マグニチュード9.5という観測史上最大の超巨大地震で、津波が世界各地に大きな被害をもたらしました。例えば、ハワイでは死者61人を出しているほか、地震発生から22時間半後の午前3時には、なんと巨大津波が日本にも到達。特に東北の三陸リアス海岸で被害が大きく、岩手県大船渡市で死者53人、宮城県志津川町で死者37人を出すなど、日本にも大きな被害をもたらしています。
この地域は過去にも地震による津波で多くの死者が出ており、さらなる津波対策に取り組んでいきますが、それでも東日本大震災で大きな被害が出ているのは御存知のとおりで、改めて自然の力の凄さが見せ付けられました。
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