第11回 1965年〜79年(1):人類はついに月へ!

○今回の年表

1965年 2月7日 東南アジア アメリカ軍による北ベトナム爆撃(北爆)開始。
  6月22日 日本・韓国 日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)締結
  8月9日 東南アジア シンガポールがマレーシアから独立
  9月1日 インド インドとパキスタン軍がカシミールで衝突(第二次印パ戦争勃発)。
  11月10日 中国 文化大革命が始まる。
1966年 2月3日 ソ連 ソ連の無人月探査機ルナ9号が、初の月面軟着陸に成功。
1967年 6月5日 中東 イスラエル・アラブ連合間で戦闘が起こり(第三次中東戦争)、イスラエル圧勝。
  7月1日 ヨーロッパ ブリュッセル条約が発効し、欧州石炭鉄鋼共同体・欧州経済共同体・欧州原子力共同体が統合。いわゆるEC(欧州共同体)の発足。
  8月8日 東南アジア 東南アジア諸国連合(ASEAN)結成。
1968年 1月5日 ヨーロッパ チェコでドプチェクが共産党第一書記に就任し、プラハの春が始まる。
4月4日 アメリカ キング牧師が暗殺される。
  10月 東南アジア アメリカが北爆を停止(1972年に再開)。
1969年 3月2日 中国・ソ連 中ソ国境紛争(珍宝島事件/ダマンスキー島事件)勃発。
  7月20日 アメリカ アポロ11号が人類初の月面有人着陸に成功。
1971年 2月8日 東南アジア 南ベトナム軍がラオスに侵攻。
3月12日 中東 ハーフィズ・アル=アサド、シリア大統領に就任。
  8月15日 アメリカ アメリカが金とドルの交換停止(ニクソン・ショック)。
  12月2日 中東 アラブ首長国連邦が建国。
  12月3日 インド 第三次印パ戦争勃発。翌日にはインドが東パキスタンに侵攻。
1972年 8月11日 東南アジア アメリカ、ベトナムからの地上勢力を撤退。
  12月18日 東南アジア アメリカが北爆を再開。
12月21日 ヨーロッパ 東西ドイツが国家を互いに承認。
1973年 1月27日 東南アジア ベトナム和平協定が締結。
1974年 8月8日 アメリカ ウォーターゲート事件でニクソン大統領が辞任。
1975年 4月30日 東南アジア サイゴンが陥落し、ベトナム戦争が終結。
  7月17日 アメリカ・ソ連 ソ連の宇宙船ソユーズ19号とアメリカの宇宙船アポロ18号が、地球を周回する軌道上で、初の国際ドッキングに成功。
1976年 7月2日 東南アジア 南北ベトナムが統一し、ベトナム社会主義共和国成立。
  9月9日 中国 毛沢東主席が死去。
1977年 12月4日 アフリカ 中央アフリカ共和国で、ジャンベデル・ボカサ終身大統領が中央アフリカ帝国皇帝ボカサ1世として即位。
(79年9月20日にフランス軍による無血クーデターで崩壊)
1979年 1月1日 アメリカ・中国 アメリカ合衆国と中華人民共和国が国交樹立。
2月1日 中東 イラン革命。
2月17日 東南アジア ベトナムと中国が交戦(中越戦争)。
3月26日 中東 エジプトとイスラエルがワシントンで平和条約に調印。
3月28日 アメリカ アメリカのスリーマイル島原子力発電所で放射能漏れ事故が発生。
  5月4日 ヨーロッパ サッチャーがイギリス首相に就任(先進国初の女性首相)。
  7月1日 全体 ソニーがウォークマンを発売。
  7月16日 中東 イラクでサダム=フセインが大統領に就任。
  10月26日 東アジア 韓国で朴正煕大統領が暗殺される。
  11月4日 中東 イランアメリカ大使館人質事件が発生。
  12月24日 中央アジア ソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻。
 

○はじめに

 ベトナム戦争を中心に御紹介しよう、ということで今回は1965年から79年まで一気に見ていこうと思います。これで、次の年代区分からは80年代、90年代と御紹介できるかと思います。

 さて、そのベトナム戦争で多くの人が殺されたり、さらに中国では毛沢東らの権力闘争によって文化大革命が引き起こされ、数多くの罪の無い人が迫害され、おびただしい数の人が亡くなるなど、何かと暗い出来事も多い時代でした。こういった出来事を中心に御紹介していくことになりますが、まずは前回同様に宇宙開発について見て行きましょう。

○人類、月へ

 前の時代で見たとおり、アメリカとソ連が競争する中で、人類は宇宙に飛び立つことに成功します。
 前回見たように、宇宙探査でソ連に遅れを取っていたアメリカは1960年7月にアポロ計画を発表。翌年、ケネディ大統領は1969年末までに人類の月面着陸を目指すことを宣言しました。

 一方でソ連は1965年3月18日に、世界初の宇宙遊泳に成功。これは、ソ連の宇宙飛行士アレクセイ・レオーノフが宇宙船ボスホート2号を出て、宇宙遊泳をしたものです。この時は12分間の宇宙飛行で、宇宙服が空気圧の関係で異常に膨らみ、対応に苦慮するという出来事もありました。

 そしてアメリカは、1967年1月に発射台上で地上実験中のアポロ宇宙船(1号)に火災事故が発生し、3人の宇宙飛行士が死亡するという惨事に見舞われますが、改良を重ね、1968年10月にアポロ7号を使って地球の周回軌道を163周し、月面着陸に向けた様々なテストを実施。

 さらに同年12月21日に打ち上げられたアポロ8号は、フランク・ボーマン、ジェームス・ラヴェルJr、ウイリアム・アンダースの3人の宇宙飛行士を乗せ、史上初めて、有人で月軌道上を周回することに成功しました。10周しているのですが、3周目からは月上空約96kmの軌道まで降下しています。

 その後も数々の宇宙飛行が短期間に次々と行われ、1969年7月16日にアポロ11号が打ち上げられます。ニール・アームストロング(1930年〜2012年)、マイケル・コリンズエドウィン・オルドリンの3人が乗り込み、7月20日午後4時17分39秒(日本時間21日午前5時17分39秒に、月面の「静かの海」へ、月着陸船イーグル号で降下。



月面着陸
宇宙飛行士たちの足跡も見えます。*素材辞典シリーズ Vol.21 〈宇宙・惑星編〉 より
 最初に月面に降り立ったアームストロング船長の第一声は、「1人の人間にとっては小さな1歩だが、人類にとっては大きな1歩である」というものでした。続いて、エドウィン・オルドリンも月面に降りたち、21時間36分、月面に滞在しました。もちろん、月の岩石や砂の標本を採集したり、地震計や太陽風の実験装置の設置など、色々と行っています。

 そして、月を飛び立ち、再び地球へと戻るというのですから、これまた非常に難易度の高いミッション。本当に凄い快挙であると思います。



ハイビジョンカメラがとらえた月面 アポロ16号着陸点付近
JAXAデジタルアーカイブスより
 その後も月面着陸は続き、アポロ13号を除いて17号まで月面に着陸し、延べ12人が月面を歩きました。一方、ソ連は月面着陸にとうとう成功することはありませんでした。もっとも、アメリカ、ソ連(のちロシア)ともに、今でも宇宙研究が盛んであることは変わりありません。

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