○カルヴァンはこう考えた

 さて、ルターの説に共鳴し立ち上がった人は他にもいます。それが、フランスのカルヴァンです。1535年、友人・ニコラウス・ホップがパリ大学学長就任の際にルターを支持し、迫害されたことからこれと行動を共に、国外脱出をします。そして、1536年に「キリスト教綱要」を著し、カトリックに挑戦すると一躍プロテスタントの旗手となりました。主に、スイスのジュネーブに招かれ、そこのボスのような感じで活動します。

 1541年から彼は、ジュネーブにおいて神権政治を行います。ジュネーブ大学を創立し、病院や下水設備を建設。また、子供の落下を防止するために建物の上階に手すりをつける、まずしい人や病人のための施設をつくり、新しい産業導入など現実的な政策を実施させます。

 そんな彼の考えは、神への厳格な忠誠、魂が救われるかはあらかじめ決まっているという予定説、ルターがカトリックのような司教制度を維持したのに対し、カルヴァンは長老主義という、信仰の厚い者を牧師に支えてもらうシステムを取ります。まあ、この辺を真面目に書いていたら1冊本が出来るでしょうし、私はキリスト教徒でないのでこの辺でやめておきます。

○イエズス会誕生

 さて、一方のローマ・カトリック教会でも自浄の動きが始まり、イグナティウス・ロヨラ、フランシスコ・ザビエルを中心とするイエズス会が結成されます。彼らはローマの教義を守った上で清貧な生活を実践し、しかしもはやヨーロッパでの布教は無理と見てアジアや新大陸に布教にでます。これについては、世界史レポート1を参照してください。日本にやってきたことで有名ですね。

○話戻ってカール5世

 ところで、カール5世って本当凄い皇帝なのです。何が凄いって働きぶりが尋常じゃない。ドイツにスペインにと往来します。それまで海軍が弱かったオスマン・トルコ帝国ですが、海賊の赤髭ハイルッディンなる人物を高官に就け、海軍を鍛えてもらいます。そして、いざ出陣。

 これに対し、カール5世は1535年、チェニス、昔のカルタゴにおいて陣頭指揮まで執って撃破しました。35歳の時。当然、キリスト教がイスラムに勝ったと、祝福され・・・るはずが、くどいようですがローマ・カトリック教会教皇パウル3世は教皇権の失墜を恐れ「くそ〜、よくも勝ちやがったな!」と苦々しく思いました。

 一見、ドイツの各諸侯に妥協に妥協を重ね、皇帝権を失墜させたように見えるカール5世ですが、このように戦争に強く、また強力な権力を保持しました。ただ、1552年、最後の最後でザクセン公モーリッツに裏切られ、謀殺寸前に。

 これをインスブルックの夜襲事件と言い、日本で言えば本能寺の変みたいな感じです。織田信長と違って、この時、運良く脱出したカール5世でしたが、ここでついに威信が失墜。先のアウグスブルクの宗教和議が結ばれ、ドイツは新教・旧教で分裂しました。

 そして1556年、カール5世はついに引退し、スペインに隠居しました。退位式の時、彼はこう述べています。
「私は、ドイツへ九度、スペインへ六度、フランスへ4度、アフリカとイギリスへは2度ずつ渡り、また去った」。
 今のように交通の発達していない時代です。お疲れ様でした。

○逸話の多いカール5世

 さてさて、カール5世は次の皇帝の座を弟のフェルディナントに譲ります。これは、広いハプスブルク家を一人で統治するのは無理、ドイツとスペインで分けようと言うことです。ですが、何で自分の子供にローマ皇帝の座を譲らなかったのか。

 一つには、弟と非常に仲が良かったこと。それから、この決定を下したのは、まだ自分の子供が小さかった時です。あとで後悔したらしいですが、まあ仕方がないとあきらめたみたいですね。

 こうしてハプスブルク家は2派に分裂したわけですが、カールの息子フェリペ2世はスペイン育ちで、何も無理して叔父や従兄弟から見知らぬドイツを奪う気はなく、またフェルディナントも子供達をスペインで育てさせたり、また彼らの死後も、両家はなんと従兄弟同士でも結婚させ、血の純潔を守ろうとします。これが仇となり、虚弱体質の子供が多く生まれます・・・・。が、いずれにせよ連携を保ち続けます。

 さて、カール5世にはたくさん逸話が残っており、こんな話もあります。
 孫引きになりますが、江村洋「ハプスブルク家」(講談社新書より。

 1540年2月24日、つまり40歳の誕生日にガンの町にいたカールは、弟フェルディナントが兄に会うためブリュッセルに到着したという知らせを受けた。すぐ弟に会いたいと思った皇帝は、早晩のまだ夜も明けぬうちから、ただ一人ベーフェルン男爵を従えただけで白馬に乗り、ブリュッセルに向かった。一日中駆け続けたものの目的地に達する以前に、日はどっぷりと暮れてしまった。これから先、進むには案内人が必要とあって、やむなく二人は、とある村で止まり、男爵は近くの一軒家の戸口をどんどんと叩いた。

 酔っぱらっての寝入り端をたたき起こされた男は、ぶつぶつと悪態をつきながらも、前に立っている立派な騎士に気落ちしたか、カンテラに明かりをともした。男がまっ暗闇の表に出ると、そこにはもう一人見知らぬ人が立っていた。
「あんた、誰だい?」
「カールって名前だ」
「そうか、おいカール、このカンテラをもってろよ。俺はちょっと用を足してくるからな。」
 尾籠な話しながら、ランプを見知らぬ人に渡すと、その農夫はほんの少し脇に寄って、用を足した。やがて彼は男爵から、カンテラを渡した人が誰なのかを聞き知った。あっという間に酔いは醒めてしまった。農夫は地面に膝まずき、頭をこすりつけながら
「どうかこの無礼をお許しください」
 と平あやまりに謝った。上機嫌の皇帝は、この男については生涯の間、税と賦役を一切免除するよう指図した。

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